不二周助くんの事を考えていたら夜も眠れなくなった。

突然だが、私は不二周助くんが好きだ。
彼は天才だが、完璧ではない。
彼は人の肉体的な痛みには敏感だが、心の痛みにはいまいち鈍感だ。
彼はテニスをすることが好きだが、テニス自体を愛しているのか分かっていない。
彼はつよい、しかし強くなりきれない。
彼の願いは、彼が勝つことではなく、青学が勝つことだった。

彼にとって彼の「勝ち」は、青学の優勝への通過点にすぎなかった。
彼の焦点は彼自身に合ってなんかいなかった。



だから彼は、きっとテニスをやめると思っていた。
青学が全国優勝したとき。
彼らの最後の夏が終わったとき。
テニスの王子様」の物語が終わったとき。
手塚が、卒業式でドイツに旅立つと演説をしたとき。
不二周助はもう、テニスを捨ててしまうのだろうと思っていた。


でも。物語はまたはじまって、彼にはテニスをやめるまでの猶予が与えられた。
私は嬉しかった。
私が好きなのは、テニスをしている不二周助だったからだ。

新がはじまってから、当然以前よりは出番は少なくなったが、やはり彼は焦点を当てられることが多かった。
不二がテニスをして笑っていた。
不二が裕太とのわだかまりを解消して微笑んでいた。

そして、不二が手塚と試合をした。

あの時、彼は、それまでの42巻で変えられなかった自意識をようやく変えることができた。
不二周助がテニスをする意味を正しく見つけることができた。
不二周助固執してきたものから卒業することができた。
不二周助が自分で思っていたよりもずっと、テニスが好きだったとようやく認識することができた。


手塚には感謝するしかない、ようやく自分の道を歩くことができるようになったのは彼も同じなのに、最後の最後で彼は不二に道を示してくれた。ありがとう、と思う。すまない、とも思う。
同時に、残酷だ、と思う。


補助輪を外され、勝手についてこい、と言い放たれた不二はそれでも自力で走り続けている。
道標ではなく、追い越す相手として手塚を見据え、世界も見据えて確実に成長を続けている。
でも。それでも、彼のテニスには終わりしか待っていない。


彼の将来の職業は、プロテニスプレイヤーではないのだから。
あの時本当に、不二はテニスを続けて良かったんだろうか?



文句があるのではない。そのことが不満だと言うのでもない。なにせ私は「テニスをする不二周助」のファンなのだから、彼がテニスを辞める瞬間をこの目で見なくてよかったと思う。

ただ、何故、とだけ思う。新たな道を示されてテニスと向き合ってなお、彼はテニスを選べない。選ばない。
ならばあの時引き留められた意味はどこにあるのか。私にはそれが分からない。

根本的に、彼が実力が足りずにプロになれないという可能性も無いわけではないが、現時点ではかなり上位の実力を持っているのは確かだ。そこから自分を見つめ直した不二が、実力不足で諦めるというのは私には正直考えられない。となると、彼は自分の意思で、プロになることを「やめる」のだ。
テニスを嫌いになってしまうのか。好きなままでいて、それでも道を追求するのをやめるのか。もしかしたら気まぐれな彼のことだから特になにも考えずに、ふっとテニスをやめてしまうのかもしれない。

どんな理由であれ、彼が迎える10年後は決定している。そこに至る道を想像して、いつも私は頭を抱えてしまうし、変えられないことだと分かってはいてもどうしてもテニスを諦めないでほしいと願ってしまうのだ。



と、最近の彼を見ていてモヤモヤした気持ちを吐き出してみたものの、つまるところはこう言いたい。


不二周助くん、本当に本当に大好きだ。
どうか未来の君がほんの少しでも、今の選択を後悔していませんように。