青9卒業に当たって

青学9代目の、最後の試合が終わった。

 

公演としてはまだドリライがあるが、間違いなく彼らの「試合」はもう生で見ることはない。

私は、セカンドの終わりからはまったまだまだ新規のファンだ。だから、実質最初から見続けたキャストの卒業は青学8代目についで2回目となる。1stから見ている人、逆にこの公演から見始めた人いろんな人がいると思うし、それぞれ感想は違うと思う。私の感想は「まだ足りない」だった。

 

7代目の卒業は、その場で直面していたとはいえまだその重みをよくわかっていなかった。

8代目の卒業は、悲しかったが「やりきったなぁ」という謂わば達成感のようなものがありつつの別れだった。

9代目の卒業を迎えた今、本当に「まだ彼らに続けてほしい」という気持ちが溢れてしかたがないのだ。

8代目の卒業を清々しいような気持ちで迎えられた理由のひとつには、やはり「手塚vs跡部」の頂上決戦で終わった、というある意味一番いい幕引きをしたから、というものがあげられるだろう。そしてあるいは、明らかに彼らが「先輩キャスト」として氷帝を引っ張っていく姿が見受けられたからそう思うのかもしれない。

 

9代目は、正に今が全盛期、と言ってもいいと思う。それほど、成長した。正直に言うと、六角東京公演初日、私はかなり不安が大きかった。それは今思うと明らかに8代目の印象を引きずってしまっていて、9代目にとっては良くない感想だったのだと思う。しかし、歌、ダンスの緊張感、ラリーの「演技している」感、それぞれ良いところもあり、不安要素もあった。それを見ていたからこそ、立海公演での成長、そして比嘉公演での安定した姿には、千秋楽でもないのに感動した。こんなにキャラクターのことが分かるようになったんだ、こんなに自然にキャラクターの動きができるようになったんだ。こんなにキャラクターの事を愛してくれるようになったんだ、と。本当に嬉しかったし、彼らの努力にこころから感謝した。

だからこそ、ここで終わるなんて勿体無いと思ってしまう。あと一公演で、最初に面倒を見てくれたあの氷帝と対決できるのに。「今の彼らに負ける気はしない」と言い放った猿山の大将に、堂々と「これが青学9代目だ!」と立ち塞がって欲しかったのに。

次の公演、彼らはもういないのだ。

 

青学10代目のことはもちろんまた心から応援する。でも、だからこそまだ見ぬ10代目には、9代目の悔しさを引き継いでほしい。是非とも全国氷帝戦、9代目の愛を一杯注がれたリョーマと共に、氷帝レギュラー陣の度肝を抜くような試合を見せてほしい。

 

 

9代目、本当にありがとう。最後まで見守っているよ。

不二周助くんの事を考えていたら夜も眠れなくなった。

突然だが、私は不二周助くんが好きだ。
彼は天才だが、完璧ではない。
彼は人の肉体的な痛みには敏感だが、心の痛みにはいまいち鈍感だ。
彼はテニスをすることが好きだが、テニス自体を愛しているのか分かっていない。
彼はつよい、しかし強くなりきれない。
彼の願いは、彼が勝つことではなく、青学が勝つことだった。

彼にとって彼の「勝ち」は、青学の優勝への通過点にすぎなかった。
彼の焦点は彼自身に合ってなんかいなかった。



だから彼は、きっとテニスをやめると思っていた。
青学が全国優勝したとき。
彼らの最後の夏が終わったとき。
テニスの王子様」の物語が終わったとき。
手塚が、卒業式でドイツに旅立つと演説をしたとき。
不二周助はもう、テニスを捨ててしまうのだろうと思っていた。


でも。物語はまたはじまって、彼にはテニスをやめるまでの猶予が与えられた。
私は嬉しかった。
私が好きなのは、テニスをしている不二周助だったからだ。

新がはじまってから、当然以前よりは出番は少なくなったが、やはり彼は焦点を当てられることが多かった。
不二がテニスをして笑っていた。
不二が裕太とのわだかまりを解消して微笑んでいた。

そして、不二が手塚と試合をした。

あの時、彼は、それまでの42巻で変えられなかった自意識をようやく変えることができた。
不二周助がテニスをする意味を正しく見つけることができた。
不二周助固執してきたものから卒業することができた。
不二周助が自分で思っていたよりもずっと、テニスが好きだったとようやく認識することができた。


手塚には感謝するしかない、ようやく自分の道を歩くことができるようになったのは彼も同じなのに、最後の最後で彼は不二に道を示してくれた。ありがとう、と思う。すまない、とも思う。
同時に、残酷だ、と思う。


補助輪を外され、勝手についてこい、と言い放たれた不二はそれでも自力で走り続けている。
道標ではなく、追い越す相手として手塚を見据え、世界も見据えて確実に成長を続けている。
でも。それでも、彼のテニスには終わりしか待っていない。


彼の将来の職業は、プロテニスプレイヤーではないのだから。
あの時本当に、不二はテニスを続けて良かったんだろうか?



文句があるのではない。そのことが不満だと言うのでもない。なにせ私は「テニスをする不二周助」のファンなのだから、彼がテニスを辞める瞬間をこの目で見なくてよかったと思う。

ただ、何故、とだけ思う。新たな道を示されてテニスと向き合ってなお、彼はテニスを選べない。選ばない。
ならばあの時引き留められた意味はどこにあるのか。私にはそれが分からない。

根本的に、彼が実力が足りずにプロになれないという可能性も無いわけではないが、現時点ではかなり上位の実力を持っているのは確かだ。そこから自分を見つめ直した不二が、実力不足で諦めるというのは私には正直考えられない。となると、彼は自分の意思で、プロになることを「やめる」のだ。
テニスを嫌いになってしまうのか。好きなままでいて、それでも道を追求するのをやめるのか。もしかしたら気まぐれな彼のことだから特になにも考えずに、ふっとテニスをやめてしまうのかもしれない。

どんな理由であれ、彼が迎える10年後は決定している。そこに至る道を想像して、いつも私は頭を抱えてしまうし、変えられないことだと分かってはいてもどうしてもテニスを諦めないでほしいと願ってしまうのだ。



と、最近の彼を見ていてモヤモヤした気持ちを吐き出してみたものの、つまるところはこう言いたい。


不二周助くん、本当に本当に大好きだ。
どうか未来の君がほんの少しでも、今の選択を後悔していませんように。